蘇我馬子の名前ってどう思う?

蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿の名前については、本名ではない、後世につけられた名前だという説があります。

僕はそうかなぁ?と思うのです。

蘇我入鹿という名前は、後世がつけた蔑称だというんですよね。
でもこの時代は動物の名前をつけることはそんなに珍しいことではないんですよ。
鯨さんもいるし、猿さんもいるし。

「いるか」で考えるというより、「鹿」で考えた方が良いような気がします。
鹿は神様の使いだっていうし。

蘇我蝦夷という名前も「蝦夷=東に住んでいる野蛮人」という変な名前を後世の人がつけたという話もあります。
蝦夷は毛人とも書きます。

大学の時の古代史の演習で藤原種継暗殺事件を調べているときに「佐伯今毛人」という人が出てきました。「さえきのいまえみし」と読みます。今蝦夷とも書くそうです。

この人はこのとき公卿なんですよね。

聖武天皇の頃から朝廷に支えているみたいなので、「えみし」という名前は蔑称ではないわけです。(同時代に藤原仲麻呂の乱に関わった人で佐伯毛人という人もいます)

むしろ今風に言ったら「たけし(猛、武、、、)さん」みたいなニュアンスなのかな?もっというと「ワイルド蘇我」「ストロング蘇我」みたいな感じなのかなと思うわけです。

蘇我馬子

蘇我馬子という名前を考えたとき、馬というのはこの時代は権力や富、武力の象徴だったりするわけです。

だから今風に言えば「ランボルギーニ蘇我」とか「フェラーリ蘇我」とかいうようなカッコいい名前だったのではないかなと思うですよ。

馬子と入鹿を合わせると「馬鹿」になるから後世の人がつけた蔑称だ、というのはトンデモ歴史解釈だと思います。

やはり歴史は、まずは残された記録を丹念に分析して読み解いていくのが大切なんですよね。

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